調理器具から食器、提灯、のれん…etc
食に関する道具がなんでも手に入る、ご存知“かっぱ橋道具街”。
浅草と上野の中間に位置する南北約800mの通りには、約170店舗のお店が立ち並んでいます。
今では、海外からの観光客も多く訪れる観光名所にもなっているのですが…
そんな通りの一画に、謎の銅像が鎮座していることをご存知ですか?その名も…
“黄金のカッパ”ではなく“かっぱ河太郎さん”です。
かっぱ橋というくらいだから、そりゃ河童もいるでしょ。というツッコミは置いといて、
今回は、この河太郎さんの由来をご紹介します!
住所:〒110-0036 東京都台東区松が谷3丁目18−2
河童がいたから“かっぱ橋”?
実は、名前の由来には2つの説があります。
1つめは、江戸時代、現在の通りの端っこ(台東区の生涯学習センター付近)に、どこかのお殿様の屋敷があり、家来のお侍さんらが内職で作った雨ガッパを天気の良い日に橋に干していたという夢のない説(笑)
そして、もう1つが、お待たせしました!
かっぱの河太郎さんの伝説です。
河太郎さんが鎮座するのは、通りの中心付近にある少し窪んだ場所。
とても綺麗に整備されたお庭のようなスペースの奥に佇んでおられます。
黄金に光り輝く姿は、遠くから見ると仏像のようにも見えます(笑)
人情の街ならではの河童伝説
河太郎さんの銅像の脇に、名前の由来となった河童伝説を記した碑を発見!
なになに…
「今から160年ほど前の文化年間(つまり江戸時代)に、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)は、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めました…」
おーい!河太郎さんのモデル、河童じゃないんかい!
と、人目も気にせず思わず声を出して突っ込んでしまった取材班…お恥ずかしい(汗)
いや慌てるな、伝説には続きがある!かっぱの登場を信じて読み直して見よう…
「ところが工事は困難を極めなかなか捗らない。その様を見ていた隅田川の河童達は、喜八の侠気に感じ、夜な夜な現れては人知れず工事を進め、さしもの難工事ついに完成した。そして、なぜか河童を見た人は運が開け、商売が繁盛したという」
河童出てきた…でも隅田川から夜な夜なって…。
町人に遭遇してたら捕獲されてましたね(笑)と無粋な想像をしながらも河童たちの人情噺にほっこり。
しかも、商売まで繁盛させるとは、とんでもない貢献度…そりゃ祀られますよね。
なぜか川太郎さんと合体してますけど、まぁそれは置いときましょう(笑)
歴史の街ならでは
そんな河太郎さんの像の説明書きの横に興味深い地図を見つけました。
かっぱ橋道具街周辺の地図なんですが、
伊能忠敬さんや葛飾北斎さんなど、教科書にも出てくる偉人さんのお墓がちらほらと…。
講道館柔道の発祥の地なんてのも見つけちゃました。
地元に住んでいながら知らなかった…
やっぱ台東区奥が深いね(笑)
また取材してご紹介します!お楽しみにー!