街の至る所に由緒ある建物や史跡を目にする台東区。その数は、まさに都内随一といっても過言ではありません。
そんな史跡の中には、一風変わった伝説を伝える物もちらほら。
例えば、浅草寺からほど近い“花川戸公園”。
立派な遊具がある、一見、普通の公園ですが…
実は、この場所には、
ちょっと怖〜い伝説が残されているのです!!
江戸時代には、浮世絵や芝居の題材にもなっていたそうですが、皆さんはご存知ですか?
今回は、そんな知る人ぞ知る、浅草のちょっと怖〜い伝説をご紹介します!
台東区立花川戸公園
〒111-0033 東京都台東区花川戸2丁目4−15
浅草の巨大池
浅草寺の二天門から馬道通りを渡った先にある区立花川戸公園。
大きな遊具が置かれ、休日には子供たちの元気な声が響き渡る、区民の憩いの場所でもあります。
そんな公園の一角にあるのが、こちらの人工池。
綺麗に整備された池の中には、可愛らしい金魚も泳いでいます。
今では人工池を残すのみですが、かつてこの一帯は「浅茅ヶ原(あさぢがはら)」と呼ばれる何もない湿地帯だったそうで、そこに大きな池があったそうです。
その名も”姥ヶ池”。
当時、その池は、隅田川まで通じていたそうですから、かなりの大きさですよね。
そして、その名の由来こそが、今回ご紹介する“ちょっと怖〜い伝説”なんです。
999人が犠牲に!浅草の鬼婆伝説
公園の中には、その伝説を説明する石碑と看板が設置されています。
それによると…
昔、浅茅ヶ原の一軒家で、娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりとなって、天井から吊るした大石の下敷きとなって死ぬ。それを悲しんで悪行を悔やみ、老婆は池に身を投げて果てたので里人はこれを姥ヶ池と呼んだ。
石枕ってなに?なんで娘が身代わりに?…なんか説明がざっくりで疑問がいっぱい(笑)
ということで、さらに調べてみました!
物語は次の通りです。
昔々、浅茅ヶ原の荒野に、一軒のあばら家がありました。周囲には、他に家も宿もなく、家に住んでいたのは、老婆とその娘の2人のみ。
何もない荒野での二人暮らし。
どうやって生計を立てていたのかというと…
旅人を招き入れ、寝ている隙に石枕で頭を叩き割って殺害
旅人から奪った金品で生活していたそう…
その数なんと999人!鬼婆というより殺人鬼です(汗)
その様子が浮世絵に描かれています。
見事なシックスパック!
もはや老婆かどうかも疑わしい風貌です(笑)
ちなみに、娘は鬼ではなく、普通の娘として描かれています。
母の行いを諌めようと日々苦悩していたとか。
説明書きには、娘が旅人を連れ込んだと書いてありましたが…娘としては、あくまで善意で旅人を泊めていたのかもですね。
ちなみに、殺害した旅人たちの亡骸は、そのまま巨大池に投げ捨てていたそうです(汗)
鬼婆を改心させた“1000人目の犠牲者”
しかし、ついに、その悪行を止める人物が現れます。それが、1000人目の犠牲者となる人物。
登場するのは、“稚児の旅人”、つまり6歳くらいの幼児の旅人…なぜ幼児が一人でブラブラ旅してるのか?という謎は置いておきます(笑)
鬼婆は、幼児だろうが遠慮はありません。いつも通り躊躇なく頭を石で叩き割ります。もはやプロの殺し屋です(笑)
しかし、ここで衝撃の展開が!
旅人だと思った稚児は、実は老婆の娘だったのです!
鬼婆の行いを咎めようと、稚児に変装し身代わりとなったのです。
娘を殺めてしまった鬼婆は、泣き崩れます。
流石に娘は可愛かったようですね。
そして、そこに命を救われた稚児が現れます。
この稚児の正体は、浅草寺の観音菩薩の化身で、残虐非道を繰り返す鬼婆に人道を説くため、稚児の姿で家を訪れたのだと告げます。
観音様に諭された鬼婆は、自らの罪を悔やみ、旅人の亡骸を捨てていた池へと身を投げました。
そして、この鬼婆が身を投げた池を、いつの頃からか“姥ヶ池”と呼ぶようになったのだそうです。
池自体は、明治の頃に埋め立てられてしまって消滅しましたが、今でも立派な石碑がひっそりと残されているんです。
もしかしたら、昔から供養碑のような物があったのかもしれませんね。
皆さんも、浅草寺に足を運んだ際には、この“鬼婆伝説の事件現場”に足を運んでみては?